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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和33年(わ)230号 判決

被告人 西川俊雄

昭八・一・一一生 店員

主文

被告人を罰金一万五千円に処する。

右罰金を完納することができないときは、三百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、普通自動車の運転免許を有し、日頃義兄中島馨所有にかゝる普通自動車兵三す一、八七七号の運転に従事していたものであるが、昭和三三年七月二七日右自動車を操縦し、尼崎西警察署東側道路中央やゝ左寄りを省線立花駅方面に向い時速約四〇粁で北進し、同日午前一時一五分頃尼崎市水堂高瀬二二番地先路上にさしかゝつた際、反対方向から進行してきた自動車の強い前照燈の光に眩惑されて視力を奪われ、一時前方注視が困難な状態に陥つたが、同所附近は交通量が閑散で、後続する自動車もないような状況にあつたのであるから、かゝる場合自動車運転者たるものは、一時停車して前方注視が十分できる状態の回復を待つて進行を開始する等適宜の措置を講じ、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、反対方向から進行してきた前記自動車に気をとられていたゝめ、右注意義務を怠り、同車とすれちがう際、これとの接触をさけるべく僅にハンドルを左に切り、かつ、若干速度を落したのみで漫然運転を継続した過失により、その直前を同方向に歩いていた戸沢康雄(当四七年)に気づかず、被告人の運転する右自動車前部を同人に衝突させて同人をその場に刎ね飛ばし、よつて同人に対し加療約三ヶ月を要する頭部、顔面、左上肢、左膝、右前膊挫創並びに右腓骨骨折、骨盤骨折の傷害を与え

第二、前記日時、場所において、右自動車を運転中前記事故を起したのに、被害者を救護する措置を講じなかつたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

一、判示所為のうち

第一の点、刑法第二一一条前段罰金等臨時措置法第二条第三条(罰金刑選択)。

第二の点、道路交通取締法第二四条第一項第二八条第一号同法施行令第六七条第一項罰金等臨時措置法第二条(罰金刑選択)。

二、罰金合算額、刑法第四五条前段第四八条第二項。

三、換刑処分、同法第一八条。

四、訴訟費用負担、刑訴法第一八一条第一項本文。

(警察官に対する報告義務違反の点についての判断)

本件公訴事実中、被告人において、判示第一の事故を惹起しながら、事故の内容を所轄警察署の警察官に報告しなかつた、との道路交通取締法違反(同法第二四条第一項、同法施行令第六七条第二項該当)の点について、前掲証拠によると、被告人が右の報告手続をとらなかつたことを認めうるのであるが、被告人にこのような報告義務があるのかどうか問題であり、弁護人は、後記憲法の規定に照らし、同法施行令第六七条第二項中右報告義務を定める部分は、無効であると主張するので、以下この点について考察する。

まず、道路交通取締法(以下単に法という)は、その第二四条第一項において、「車馬(中略)の交通に因り、人の殺傷又は物の損壊があつた場合においては、車馬(中略)の操縦者(中略)は、命令の定めるところにより、被害者の救護その他必要な措置を講じなければならない。」と定め、同法施行令(以下単に令という)第六七条は、右法の委任に基いて、「(第一項)車馬(中略)の交通に因り人の殺傷又は物の損壊があつた場合においては、当該車馬(中略)の操縦者(中略)は、直ちに被害者の救護又は道路における危険防止その他交通の安全を図るため必要な措置を講じなければならない。この場合において、警察官が現場にいるときは、その指示を受けなければならない。(第二項)前項の車馬(中略)の操縦者(中略)は、同項の措置を終えた場合において、警察官が現場にいないときは、直ちに事故の内容及び同項の規定により講じた措置を当該事故の発生地を管轄する警察署の警察官に報告し、且つ、車馬(中略)の操縦を継続し、又は現場を去ることについて、警察官の指示を受けなければならない。」と規定している。

ところで、右各規定をかれこれ検討すると、令第六七条第二項中交通事故が生じた場合において当該操縦者が事故の内容を所轄警察署の警察官に報告する義務のあることを定める部分は、法第二四条第一項の委任の範囲を超えるものではなかろうかとの疑問がまず生ずるのであるが、この点はしばらくおき、一体、こゝにいう「事故の内容」とは、何をさし、また、どんな意味であろうか。勿論、右文言については、その意義が別段明確に法定されている訳でもないから、結局解釈に委ねられることゝなり、その範囲が瞹眛であるが、法第二四条第一項に照らして素直に解すると、右にいう事故の内容には、少くとも、当該日時場所において、当該操縦者の操縦行為によつて人の殺傷という結果を生じたことを含むものと考えるのが相当である。このように考えると、当該操縦者は、令第六七条第二項の規定によつて、所轄警察署の警察官に対し、人の殺傷の事実は勿論、例えば、当時いかなる操縦行為をしていたかとか、或は、車体のどこを被害者にあてたかという自己の過失を推定されるような具体的事情等をも報告すべき義務を負わされているものといわなければならない。しかも、同項末段において、警察官の指示がなければ、当該操縦者は、操縦を継続したり、現場を去つてはならない旨定めていることゝの関連において、右事情については、事故の現況等に照らし相当詳細に述べるべく要請されているものと考えざるを得ない。ところで、憲法第三八条第一項は、「何人も、自己に不利益な供述を強制されない。」と明定し、自白を強要することを禁止する(黙否権の保障)。こゝにいう自己に不利益な供述とは、一応、自己の刑事責任に関するものであつて、自己を有罪とするような事実の供述は勿論これに含まれると考えられるが、刑事責任に関する不利益な供述の強要禁止は、本来の刑事手続に限るという憲法上明文の根拠はないのであるから、行政手続の場合でも、自己が刑事責任を負うおそれがある場合には、供述を強要されることはないと解するのが相当である。従つて、道路交通取締法は、道路における危険防止その他の交通の安全を図るという行政目的達成の為に設けられたものではあるが(法第一条)、黙否権の保障は、当然これにも及ぶと考えるべきであるから、この手続においても、自己の刑事責任に関する不利益な供述は強制されることがないといわなければならない。

ひるがえつて、令第六七条第二項は、例えば、旧道路交通取締令第五三条のように操縦者本人等の氏名(氏名については原則として黙否権がない。最高裁昭和三二年二月二〇日大法廷判決参照)住所等の申告をさせるという規定の仕方をとることなく、また、単なる事故の届出に終らせることもなく、更に進んで、当該操縦者に対し、事故の内容となるべき人の殺傷の事実その他右に述べたような事故の具体的諸事情を警察官に報告すべき義務を負わせている訳であるが、かゝる事情こそまさに業務上過失致死傷罪その他の犯罪を構成しうべき自己に不利益な事実というべく、事故内容の報告なる名の下にこれが供述を義務づけられることによつて、当該操縦者は、捜査機関たる警察官に対し、自己が犯人であることを暴露されるという危険な立場に立たされることゝなるから、この点だけから考えても、同条第二項中前記報告義務を規定する部分は、右憲法の明文に違反し、無効といわざるを得ない。勿論、一方において、交通秩序の維持という強い公益的要求があり、他方において、この令が施行されて以来すでに相当の年数が経過し、今更これが効力を疑うことは、大きな波らんを引きおこすという現実の問題があるので、当裁判所としても、右規定の効力を判定するに際し、これらの点を心に留めて考慮を巡らしたのであるが、前述の趣旨からして、遂にこれが違憲であるとの判断を下さゞるを得なかつた次第である。従つて、この点に関する弁護人の主張は理由がある。よつて、本件公訴事実中被告人が所轄警察署の警察官に対し、事故の内容を報告する手続をとらなかつたことは、前に認定したとおりであるが、被告人の右不作為は罪とならないものというべきである。しかし、これと判示第二の罪とは一ヶの構成要件に属し、包括一罪に当るから、右報告義務違反の点については、特に主文において無罪の言渡をしない。

(弁護人のその他主張に対する判断)

弁護人は、法第二四条第一項及び令第六七条第一項中被害者の救護義務を規定する部分は、「法は、人に不能を強いるものではない。」との法の根本理念その他に照らして無効である旨主張するが、ほんらい、車馬の操縦に原因して人に傷害を加えたような場合、当該操縦者に被害者保護の責任を生ずべきことは、条理上当然のことに属するものと考えられ、右法令中被害者の救護義務に関する部分は、かゝる当然のことを規定したものであつて、人に不能を強いるものでは勿論なく、その他右規定を目して無効とすべき理由は何もないから、弁護人の右主張は採用できない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 日高敏夫)

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